コンビニの珈琲マシンの中には⋯(yoko_blo36)
珈琲は、というか珈琲以外でもそうだけど、こだわりだすとキリがない。例の、沼にハマっていくように。豆の挽目(粒の大きさやその形)、焙煎度(生豆にどれだけ熱をいれるか)、焙煎方法(直火か熱風かどんな機械を使うか、はたまた使わないか)、豆の種類、産地…、カッコの中に例をあげ出すと、それこそ止まらなくなる。
豆だけでも1冊の分厚い本ができてしまうし、焙煎した豆からお湯、時には水を通して抽出する過程に至っては、(淹れ方の教祖様がいればその人の方法が正解で、従う他ないのだけれど)さあこれから珈琲を飲むぞという人達によって自由に創造することが出来、または色々やってみたくなるので、きっとこれをすべて本にまとめることさえできない。
だけど、出来上がった珈琲をカップに注ぐと、その様々な工程が見えなくなり、平たく言えばただの「茶色い液体」になる。それはまるで蒸し暑い夏の太陽のように、とても容赦がないように感じる。料理であれば盛り付け方や色や形で、先ず想像を掻き立てることで心を動かすことができる。その点で言えば、どれだけ手間を掛けてつくった珈琲でも(だからと言ってそれが素敵な味や香りの珈琲であるかどうかは別として)白いカップに注がれて出された珈琲は真っ先に主張するものがない。否が応でも大体それは茶色い液体になる。
そして、そんな液体の正体を探るのは、顔をそれに近づけていくと感じる匂い、または口に含んだ時に喉の奥から鼻へと抜けていく香り、そして舌で感じる味やささやかな感触になってくる。
ふと、そんな珈琲への哀れさを(珈琲からしてみれば余計なお世話だろうが)考えながら、ふらふらとコンビニのレジ横にある機械の下に氷の入ったカップを置き、ボタンを押して出てくるセルフサービスの珈琲を飲むことがある。暑くなるとどうしても冷たい珈琲が飲みたくなり、家でこしらえた冷たい珈琲を保冷容器にいれたのに、うっかり冷蔵庫に置き去りにしてしまったような時だ。
コンビニのセルフサービスの珈琲はそれこそ、その機械の中でいったい何が行われているのか知る由もないが、その珈琲はなぜが美味しい。機械相手で悔しいので一言で片付けてしまっているが、「あれっ」と思うほどなのだ。最近は出先で見つけたコーヒーショップや、その店目当てに足を運んで味を確かめに行くこともあるけれど、そんな店でこのコンビニのマシンから密かに抽出した珈琲をだされたら、私はどの様な反応をするだろうかと、その反応を想像する時に悪寒の様な涼しさを感じずにはいられない。
結局のところ、こういうことなのだ。
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